最近、日本ではがんは2人に1人がかかる病気として認識されてきています。
では、それはいつ頃から言われるようになったのか?
がんって最近の病気なのか?
それとも昔からあったのか?
がんの歴史が気になりましたので、調べてまとめてみましたので興味のある方はぜひみてください。
古代におけるがんの記録
【エジプト】
エジプト医学文書: 現存する最古のがん記録は、エジプトの医学文書とされています。この文書は、紀元前3000年頃のもので、「エドウィン・スミスパピルス」や「ブルックリン・パピルス」などと呼ばれています。
腫瘍の記述: これらの文書には、腫瘍に関する様々な記述が見られます。例えば、「腫瘍は、体のどこかにできる硬い塊である」「腫瘍は、良性と悪性に分類できる」「腫瘍の治療法としては、切除、焼灼、薬物療法などがある」などが記載されています。
具体的な症例: さらに、具体的な症例も記載されています。例えば、「乳房の腫瘍」、「子宮の腫瘍」、「骨の腫瘍」など、様々な部位のがんに関する記述が見られます。
【ギリシャ】
ヒポクラテス: 紀元前460年頃~紀元前370年頃に活躍したギリシャの医師であるヒポクラテスは、「癌腫(オンコス)」という言葉を用いて腫瘍を記述しました。
ガレンス: 129年~199年に活躍したギリシャの医師であるガレノスは、腫瘍を良性と悪性に分類しました。また、外科手術による治療法を提唱しました。
【ローマ】
ケルスス: 1世紀に活躍したローマの医師であるケルススは、著書の中で、外科手術によるがん治療法について詳しく述べています。
ソラヌス: 2世紀に活躍したローマの医師であるソラヌスは、薬物療法によるがん治療法について詳しく述べています。
【中国】
黄帝内経: 紀元前2世紀頃に成立したとされる中国最古の医学書である「黄帝内経」には、腫瘍に関する記述が見られます。
華佗: 140年~160年に活躍した中国の医師である華佗は、外科手術によるがん治療法に精通していたと言われています。
【その他の地域】
古代インド: アーユルヴェーダと呼ばれる伝統医学には、腫瘍に関する記述が見られます。
古代マヤ: マヤ文明の遺跡から、骨腫瘍の痕跡が見つかっています。
中世におけるがんの記録
キリスト教の影響
中世ヨーロッパでは、がんは神の罰と考えられていました。そのため、医学的な治療よりも、宗教的な救済が重視されました。
- 懺悔: がん患者は、自分の罪を懺悔することで、神の許しを得ようとした。
- 巡礼: 聖地への巡礼は、がんの治癒を願う手段として行われた。
- 祈祷: 僧侶による祈祷は、がんの治癒を願う手段として行われた。
外科手術
古代ギリシャ・ローマ時代のがん治療法は、中世ヨーロッパでも継承されていました。
- 切除: がんの腫瘍部分を切除する手術が行われた。
- 焼灼: がんの腫瘍部分を焼灼する手術が行われた。
しかし、これらの手術は、技術的な制約や麻酔薬の未発達のため、非常に痛みが強く、成功率も低かった。
薬物療法
様々な植物や鉱物が、がんの治療薬として用いられました。
- マンダラゴラ: 鎮痛剤や麻酔薬として用いられた。
- ヒ素: 抗腫瘍効果があると信じられていた。
- 金: 抗腫瘍効果があると信じられていた。
しかし、これらの薬物の効果は科学的に証明されておらず、むしろ副作用の方が大きかった可能性があります。
民間療法
様々な民間療法も、がんの治療法として信じられていました。
- 動物の血液: 動物の血液を飲むことで、がんが治ると信じられていた。
- 星占術: 星占術によって、がんの進行を予測したり、治療法を見つけようとした。
- おまじない: おまじないによって、がんを治そうとした。
これらの民間療法には、科学的な根拠はありませんでした。
疫病との混同
中世ヨーロッパでは、がんと疫病が混同されることがありました。
- ペスト: ペストは、中世ヨーロッパで最も恐れられた疫病の一つであり、多くの命を奪いました。
- 天然痘: 天然痘も、中世ヨーロッパで流行した疫病の一つであり、多くの人が亡くなりました。
これらの疫病は、皮膚に腫瘍のような症状が現れることがあり、そのため、がんと混同された可能性があります。
差別と偏見
がん患者は、社会から差別や偏見を受けることがありました。
- 不治の病: 当時のがんは、不治の病と考えられており、患者は絶望視されました。
- 不潔: がんは、不潔な病と考えられており、患者は忌み嫌われました。
- 社会的排除: がん患者は、社会から排除されることがありました。
重要な発見
中世ヨーロッパでは、がんに関する重要な発見もありました。
- 解剖学の発展: 解剖学の発展により、がんの病理学的な理解が進みました。
- 西洋医学の確立: 西洋医学の確立により、がんの治療法に関する研究が活発化しました。
まとめ
中世ヨーロッパにおけるがんの認識は、古代文明の知識を継承しつつも、キリスト教の影響を受け、独特な様相を呈していました。がんは神の罰と考えられ、医学的な治療よりも宗教的な救済が重視されました。
外科手術や薬物療法も行われましたが、技術的な制約や科学的な根拠の不足により、効果は限定的でした。
ガンは、紀元前の時代からあったものとわかっており、近年の病気ではないことがわかりました。
それに加えて昔から不治の病と呼ばれたりと治療が非常に難しかったとされています。